| 新潟で中国語会話をプライベートレッスンで習いたい方へ |
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私が、日本へ来て真っ先に感じた不自由がある。それは言葉。 食事や買い物等、あらゆる事を日本語でやらなくては事が進まない。 当然、思うように言葉が出来ず本当に落ち込んだ。 まるで日本中で私一人がしゃべれないようで、自分がだめ人間になった ようだ。 「あぁここがハルビンならどうって事はないのになぁ」そんな事を毎日 毎日考えていた。 そんなある日、父親の友人から「家に遊びにいらっしゃい」とのお誘い。 これも日本語の勉強と二つ返事で、行き方をメモしていざ出発。 目的地は六日町という新潟市から離れた所だ。 ところが、メモした時間に何台ものバスが来てどのバスを乗ればいいの かさっぱり分からない。「これかなぁ〜?」と乗ったバス。しばらくする とバスの中でうとうと。運転手さんに肩をたたかれて目が覚めた時、背 中に悪い汗をかいた。「しまった!しまった!」ここがどこだか見当も付 かないっ! 運転手さんに「どちらに行きますか?」と聞かれ「六日町っ!」とすが る思いで答えた。 「あ〜六日町は方向がちがうよ〜」らしき事を言われ泣きそうになった。 ところが、運転手さんはなにかひとしきり何かをしゃべり、私に付いて きなさいと手招きした。「ん〜あやしいなぁ」言葉が通じないと猜疑心が 強くなり正直、運転手さんを信用できなかった。でも従うしか他に方法 が無い。 ところが運転手さんは、自家用車に見ず知らずの私を乗せて、六日町行 きのバス停まで連れていってくれた。そしてやってきた六日町行きのバ スの運転手さんに「まちがいなくこの子を六日町でおろしてよ」らしき 事を言ってくれた。そして目的地に無事到着。 心からホッとした。なんて親切なんだろう。でも私は、別れ際に「あり がとう」しか言えずにとても悔しかった。もっと感謝の気持ちが伝えた かった。その悔しさがバネにになり一所懸命日本語の勉強をした。 あのバスの運転手さんが、私の日本語の扉を開くきっかけを作ってくれ た恩師だ。
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