新潟で中国語会話をプライベートレッスンで習いたい方へ〜新潟日報晴雨計3〜
新潟で中国語会話をプライベートレッスンで習いたい方へ
HOMEへ戻る

 

 父は大の日本びいきです。

 なにしろ父のしている腕時計はいつも日本時間だ。私が帰国する時は味

噌、醤油、清酒の三点セットは欠かせない。

 父は、12年前に県費留学生として1年間新潟に滞在し、たくさんの友

人を得て、心底日本が好きになった。

 本人は大好きな日本で、博士号を取りたくて取りたくて仕方がなかった

が、年齢の関係で入学すら絶望的と言われた。

 その時のがっかりぶりは、気の毒だった。

 しかし、父はめげなかった。自分がだめなら娘に取らせようと言う作戦

に出た。

 私はいきなり日本行きを命ぜられ開いた口が塞がらなかった。

「娘を留学させてもどうせ結婚して子供を産んだらそれまでだ。」と親戚

一同は猛反対。

「うちの娘は男の子のように育てたから大丈夫」と、どこ吹く風。

 事実、勉強も厳しく一問でも間違えると「手を出せっ!」と怒鳴る。

 右手を出すと「ちがうっ左手だっ!字が書けなくなるでしょっ」そして

左手を出すと、分厚い定規でたたかれ、左手が肉まんのように膨れるの

はしょっちゅうだ。

「大人になったら蹴ってやるっ」とつねづね考えた。

 その父の意志がここまで石のように堅いとだれ一人、抵抗不可能だ。

 結局、私は泣く泣く、船に乗のせられた。

 その時手渡されたたくさんのお金は、父のぬくもりが残っていた。

 でも、当時の私には、そのお金の重さが理解できなかった。

 そして、新潟に来て驚いた。父が留学中にたくさんの友達に恵まれ、そ

の方々が、自分の娘のように面倒を見てくれた。皆様の暖かく見守られ

日本語も日に日に上達した。

「お父さんより日本語うまいねぇ〜」と言われるのは何よりの、ほめ言

葉だ。

 そしていま、私は博士号を取得一歩手前になった。今は父に感謝の気持

ちでいっぱいだ。

「蹴るのはよそう」そう考えるようになった。

 自分が親になった時、父のような事が出来るだろうか?

 そして父にどんな恩返しが出来るだろう?


Copyright 2000. All rights reserved. Contact: 株式会社 好朋友