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「幼いころ、母の言うには私は海の子。海辺に生まれ海で育った。・・・」 これは80年代の中国で老若男女を問わず、誰でも口ずさんできる歌だ。 なのに、私のふるさとは海から一千キロも離れている内陸―ハルビン だった。 日ごろ食べているお魚は殆んど近くの松花江で捕れた川魚、あるいは 大連からはるばる運ばれてきたガチガチの冷凍物だった。油で丸揚げし て、甘酢あんをかけた鯉を楽しみながら、生魚を食べる大和民族はどう しでも理解に苦しかった。それにしても、私は海には強く憧れていた。 中国語で「留学」を語るときに、よく「渡洋」を言う。字面通り、海 を渡るという意味だ。しかも、「不遠万里、遠渡重洋」。つまり、万里の道を 遠しとせず、遠くいくつもの海を渡って行くこと。その目的は恐らく中 華思想の中の「故郷へ錦を飾る」なのだ。80年代の後半になると、「鍍 金」(金メッキ)、「鍍銀」(銀メッキ)という言葉が流行っていた。前者 はアメリカ留学を、後者は日本留学を指す。原石のような自分をより美 しく見せるため、海外で学位を取って箔をつけるのだ。私も「海を渡 る」という大きな夢を抱いた多くの中国若者の一人だった。 海と初対面したのは私が21歳の時、天津港の海だった。見送りに来た両 親に「再見」と言い、神戸行きの「燕京号」のフェリーに乗った。足 元が揺れていた。はじめて見る海の上を船が滑るように大陸からどん どん遠のいた。それから50時間いろんな表情を示す海をたっぷり堪能 した。大陸を離れることにつれて不安が募る。特に日本語を勉強して いたわけでもないし・・・。正直言って仲間のいない桃太郎が鬼ヶ島 へ行く心境だった。 そして神戸に無事到着し、新潟の土を踏んだ。父の友人、身元保証人 になった平田さんがわざわざ私を日本海に連れてくださった。「海をご 覧なさい。この海の向うは貴女のふるさとですよ。」と聞いた途端、思 わず涙をこぼれてしまった。雨だった。 それから十年も経った今、私の大好物はお刺身、お寿司、それに焼き 秋刀魚になった。 先日、吉林省出身の後輩を新潟に出迎えた。新潟駅から大学まで、わ ざわざ海岸線を通り、夕日公園を案内した。珍しい晴天だった。「海を ご覧なさい。海の向うは貴女のふるさとだよ」と言い、彼女の反応を 伺った。彼女は目を輝かせ「大連の海よりも綺麗ですね」と言った。 新潟は彼女の第二のふるさとになるのだろうか。 |
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