新潟で中国語会話をプライベートレッスンで習いたい方へ
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この会は、中国語会話サロン好朋友の生徒さんの一言から始まりました。
「覚えた中国語を使いたいっ」 そうかっ!中国語を使えるが必要なんだ。でも、何を使って?
どんな方法で? 
ん〜なにかいい方法はないかなぁ・・・。
ある日、生徒さんが手に入れた中国語の童話集を見ていること数日・・・思いついたっ!

この童話集を、生徒さんに訳してもらうっ それを私が、チェックをしておかしいところは直す。
それが、たくさんになったら小冊子にして、それを他の生徒さんに見てもらって励みにしようっ

なんて事を考えて生徒さんに相談したら、「それなら思い切って出版したら?」「好朋友の中だけでなく、いろんな人に見てもらおうよ」「その方が、おもしろうそうだよ」
そんなおもしろそうが始まりで会がスタートしました。

その成果、第一弾はこれっ

 
そうです。この会の始まりのきっかけとなった、童話集です。

 参加者が、家族へ読み聞かせるにはどんな表現が適切か、分かわかりやすいのか、頭を悩ませ、みんなで、訳文を読み合って一所懸命作りました。

そんな夢の詰まった一冊です。



完売しました。
ありがとうございました。

参加者の紹介です。作者名の所をクリックすると制作苦労話があるよ
斎藤 香(さいとう かおり)
川瀬 悦郎(かわせ えつろう)
中野 雅夫(なかの まさお)
宮澤 有加(みやざわ ゆか)
大島 義和(おおしま よしかず)

磯部 誠一(いそべ せいいち)

孫 犁冰(そん りびん)
少々人数が多いのは気にしないでね。(^o^)

斎藤 香(さいとう かおり

大学卒業後、中国に旅行に行くときのために中国語を勉強し始めました。
 今、私は『中国語会話サロン好朋友』で中国語会話を習い始めて6年目?になります。先生の孫犁冰と出会ってから中国語の会話が楽しくなりました。映画の話、料理の話、子供の頃の話、学生時代の話、家族の話など楽しく中国語・日本語でしています。今は、「レッスン」というより「おしゃべり」に行っているといったほうがよいかもしれません。

「おしゃべり」を楽しんでいる間に、童話の翻訳をしてみない?とリービンに誘われ、今回童話の会のメンバーになりました。自分の中国語のレベルを知るために、翻訳に携わりました。

直訳と翻訳は違います。自分が日本語の使い方を知らないこと、ボキャブラリーの少ないことに驚きました。芸術的センスがなくて恥ずかしくなりました。一つの漢字を表現するのにも日本語に悩みました。中国語を勉強する前に、日本語を勉強したほうがいいのかな?と思ったりもしました。けれどもメンバー全員で考えて、最終的に納得のいく日本語をみつけることができました。決して一人ではやり遂げることはできませんでした。


私は中国(語)を楽しんでいます。気が乗らないときは、レッスンを休んでしまうこともたまにあります。(リービンごめん)。「勉強しなければならない」と思ったことはありません。そう思うと続けていくことができないから。

今年の夏は北京・上海に旅行に行く予定です。北京は7年ぶり上海は2年ぶりになります。ガイドブックを片手に一人で毎日ニヤニヤしています。

私はきっと中国の何かに腹を立て旅行から帰って来るでしょう。でも次の日にはまた今度はどこに行こうかな?と思っていることでしょう。

川瀬 悦郎(かわせ えつろう)

 そもそも、中国語を勉強するきっかけは社内のハルビン研修」の公募に応募するためでした。

そんな時偶然電話帳で見つけたのが、「好朋友」という中国語学習教室でした。月謝も比較的安く、「中国語の面接に合格するのを目標」としたレッスンでしたので、もっぱら会話を中心に勉強しました。

 結論からいうと、自分では納得できないかたちでハルビン研修の選には、もれてしまいましたが・・・。
 私自身相当落ち込んで、当時は中国語を学習する意欲も消えかけていました。ですが、せっかくがんばった中国語を中途半端な形であきらめてしまうのも納得がいかず、中国語の学習をどのように続けてゆけばいいのか答えが見つからず、自分自身困惑を感じていました。
 そんな時、孫先生から、中国語の童話を翻訳してゆくゆくは出版しないかという内容の提案があり喜んで参加しました。

 翻訳作業に取りかかった当初は、子どもがいちばん手の掛かる時期でもあり、また2番目の子どもも生まれたので、当然、まとまった自分の時間がありません。
 なかなか泣きやまない子どもをおんぶしながら薄明かりの中で、適切な日本語の文章を考えたりしました。(T_T)
 子どもを寝かしつけながら中国語の原文を読んでいるうちに、明かりをつけたままいつのまにか自分も寝てしまったこともありま・・・ 。
(_ _)---zzzz
 妻に対しても、土日に自分ばかり家を空けるのが後ろめたかったです。m(_ _)m


 少しずつ、自分が訳した作品が出来きてゆくにつれて、翻訳という作業が面白くなってきました。現代中国の童話のセンスは我々日本人の感覚とはかなり異なっていて、ひどい「おち」のものもあるし、心を打つものもあるしと、退屈しません。
 もともと私は文章を読むのも書くのも、苦にならないタイプでしたが、子どもに分かり易い文章にするのは本当に骨の折れる作業でした。翻訳よりも日本語の文章の校正にずいぶんと時間をとられました。
 他のメンバーが訳した作品もたくさん溜まってきたようなので、訳した作品を持ち寄って顔合わせを行いました。2回3回と打ち合わせを重ねる度に、皆さんがとても気持ちの良い人達であることがわかってきて、みんなと一緒に本が出せたら良い本を出せるんじゃないかな、という期待もふくらんできました。

 また、実際に出版をするに当たって幸運だったのは、メンバーから、新潟日報事業社の五十嵐さんを紹介して頂いたことです。出版を打診した2社目にして前向きに検討しているという返事を受け取れたのは、五十嵐さんが我々の話をじっくりと親身になって聞いて頂いたおかげだと思っています。

 今思い起こしてみれば、中国語を始めたのも、中国語会話のプライベートレッスンを受けたのも、孫先生に出会ったのも、ハルビンの研修にもれたのも、気持ちの良いメンバー達と知り合ったのも偶然です。(もちろんメンバーの一人が五十嵐さんにつてがあったのも大きな偶然です。)このような偶然の積み重なりで、この本が日の目をみることができたんだなあと思っています。
 多くの偶然が積み重なって中国童話の翻訳作業に携わり、多くの幸運が積み重なって、ついにはその成果を「愛ママ弁当」として出版するまでに至りました。私にはそんなふうに感じられます。

中野 雅夫(なかの まさお

1 翻訳を始めたきっかけ・動機
 国際協力のため、1996年に北京の日中友好環境保全センターに派遣され、北京に2年間住みました。私の中国語との関わりはこの時から始まりました。「中国に行った人の2割は中国にハマル」と言われますが、私はその一人のようです。

 おおらかに私を受け入れてくれた中国人の奥深さ、私たちが育った頃の素朴な生活感、今の日本に無くなった時間のゆっくりとした流れ、また、逆に豊な生活を追い求める人々の欲求の入り交じった混沌とした世界、そういうものが私を引きつけるのかもしれません。

 帰国して孫先生に出会い、中国語の勉強を続けています。この童話翻訳は孫先生の薦めもあって参加しました。いつまでも中国との関係を保っていきたいと考えています。

2 翻訳作業について一言
 国や人種がちがっても、人間の生活や思いは基本的にはちがうものではないということを、国境を越え北京で生活して初めて知りました。しかし物事の表現や考え方などに微妙な違いがありますが、この微妙な違いは時に大変大きな差であり、文化の違いであるのかもしれません。

 この童話には、中国独特の物の考え方やおおらかな表現、共通する人の思い、古きよき中国を感ずる作品なども含まれています。また、著しい経済発展とともに急速に変わりゆく中国の問題を反映するような作品も含まれています。

 翻訳を始めた当初は、中国語の勉強のつもりでしたが、みなさんの翻訳が整ってくると、一冊の本の中に現在の中国の多様な側面が見えてきたようで、大変うれしく思っています。

3 今後のビジョン
 私が中国語を勉強する目標は、限りなくネーティブに近く中国語を話して、聞くことですそして、退職したら、また中国に住んでみたい。これが夢です。

宮澤 有加(みやざわ ゆか)

 言葉ひとつとじっくり向き合うことは、今はすごく大切なことだと思います。自分と向き合うことにもなったからです。本として出版できることはもちろんですが、様々な仕事を持つ一緒に活動してきたみなさんと出会え、交流できたことはもっとすばらしい経験でした。


 童話を訳してみない?と誘われて「おもしろそう、やりたい!」と答えた時は、実は「テキストより楽かなぁ」くらいの気持ちでした。それに中国語を覚えたいのにやる気でないなぁ…という状況から抜け出すきっかけが欲しかったのです。

 半ば、義務感からのスタートでした。1話を訳すのにかかる膨大な時間童話なのになんでこんなにわからないの?とため息の連続でした。
 しかし時間的に制約がなかったので、語調や話し手の立場を変えるなど色んなバージョンに訳す余裕がありました。自分の語彙・表現力不足のためにやらざるを得ない作業でしたが、コトバに向き合う私なりの楽しさを感じることができました。
 今の自分だからこの訳にこのコトバを選んだと思うと日記みたいな気もしてきて、読んでいただけるのはうれしくもあり恥ずかしくもあります。何年後かに別の環境の中でまた翻訳をしてみたい。日記みたいな感覚で取り組めたら楽しいだろうなぁ。とにかくこの機会を与えてもらえた事に感謝しています。

大島 義和(おおしま よしかず)

 
この本の出版に際して、メッセージを送ろうということですが、さて何をどのように切り出したらいいのでしょうか?うまく言い出せない状態です。ワールドカップに気を取られているせいかも知れません。

 セサミの前に『好朋友』と大きな張り紙がしてあって、ああ、あそこで誰か中国語の教室を開いているのだな、いつか試しに除いてみようと僕は思っていました。
 というのも僕は大学を出てから20数年経ち、いいかげん中国語をあらかた忘れてしまっていて、しかしいつか中国語をもう一度勉強しようとズーっと考えていたのです。

 そこで、教室を訪ねて、孫さんに教えを請うことになったわけですが、仕事が忙しいとか、娘二人が首都圏の学校に行ってしまい財政的に苦しいとかいって、実は自分の怠け心が一番の理由で今は教室を休んでいるのです。そんな私に童話を一緒に翻訳して出版しましょうと、孫さんが声をかけてくれました。
 これは実際非常に嬉しかったです。というのも、《中国》をキーワードとする繋がりが新潟へ戻ってから無かったのです。仕事以外に新しい広がりが出来そうで、嬉しかったですね。孫さんにはあらためてありがとうといわせてください。

 参加したのはいいのですが、心のうちでは果たして出版出来るかなとも考えていました。 世の中の流れはどう考えてもアニメやゲームで、ゆっくり童話でもという雰囲気じゃないですから。しかも、童話のみならず日本以外のアジアの文芸物は、本邦ではいまだにマイナーな地位なのです。出版の実現性はちょっと?マークだろうな・・・。

 この責任をいろんな所に求めることは、たやすいことです。たとえば、日本のメディアはアジアの政治、経済、軍事面のトピックスをマスコミに紹介することは熱心ですが、アジアの文化や生活の紹介については不熱心であるとか。アメリカ的なグローバリズムに、どこか違うのじゃないか、アメリカが全部正しいとはいえないなと思いつつ、軽々と便乗してしまうとか。でも、ひるがえって自分はどうなのか?というと、あまり変わらないですね。子どもの頃の僕の中のヒーローやヒロインは、ポパイやスーパーマンやナタリーウッドであったし、湯川玲子さんがラジオで教えてくれた憧れのロックンローラーはプレスリーでした。成長の過程でアメリカ的なものにどっぷり漬かってきたし、いまも重要な刺激の震源地のひとつです。良きにつけ悪しきにつけ戦後民主主義の一大潮流の恩恵を受けてきました。

 しかし、童話というのが良かったですね。くわえて、昔の民話のアレンジや教訓説話的な焼き直し物でなく、当代の創作童話であるというのがいいですね。子どもに感動してもらおうと大人の作家が物語を創作するのです。子どもが感動する出来事や物語はどこの国の子どもでも通用する普遍性があるのではないか思うのです。意識的であろうと無意識であろうと子どもを対象として創作する大人は何か共通するものに導かれて行く、そんな気がします。中国はお隣です。知っているようで良く知らない。だけど書かれた童話を読むと、けっこう似たような事で嬉しがるのですね。これは新鮮な感動です。

 僕は、文学や芸術やその他の文化活動に何かの効果を期待するのは好みではないですが、日本の子どもたちの幾人かがこの童話集に触れて中国やアジアに興味を持ってくれたなら、望外の喜びです。もっとも子どもは素直ですから、童話を読むよりはいろんな国の子どもたちと遊ぶ環境さえあればすんなり他者の存在を認め合うでしょう。今この童話を読む必要があるのはむしろ大人の方かもしれません。

 冒頭に申し上げるべきでしたが、出版に誠意ある応対をしてくださり、惜しみない協力を提供してくださった新潟日報事業社の方々に心から御礼を申し上げたいと思います。

磯部 誠一(いそべ せいいち)

 「脱欧入亜」と言われて久しいですが、まだ日本人の目は欧米にだけ向けられている嫌いがあります。新聞に不法入国やアジア人の犯罪の記事が載ると、ともすると偏見を持ちがちです。しかし、たとえば新潟大学に留学している大勢の中国人留学生はみな非常に優秀です かれらが帰国し、これからの中国を支えるようになったとき、日本、いや新潟での印象が大きく日中関係を左右することになると思います。私は外国からの留学生の意見を政策に反映させるようなシステムがあってもいいのではないかと思います。地図を見るまでもなく、新潟市は中国への玄関として非常に便利です。商業貿易だけではなく、文化的な交流がもっと活発になることを願っています。しかし、お隣の国のふつうの人が、何を考え何を感じ何を望んでいるのかを知る手だてがありません。新潟の本屋さんではおそらく一冊の中国語の本も手に入らないでしょう。

 今回の中国創作童話の翻訳は、子供たちにとって、中国が近くて遠い国にならないようにとの願いがあります。童話を読み、本の世界に入っているとき、中国の子供たちも日本の子供たちも同じように笑ったり、悲しんだりします。国の違いを超えて同じ感情を持ち、物語の主人公と楽しいひとときを過ごします。親が読み聞かせてやれればなおさらいいでしょう。親の愛情が子供に伝わり、子供はいつか外の世界を思いやり、愛情を分け与えることができるようになると思います。

孫 犁冰(そん りびん)

 オレンジ色と黄色は私のラッキーカラーです。
 はじめて『愛ママ弁当』を手にしたとき、オレンジ色と黄色の表紙に目を奪われ、何でこんなに可愛いだろう?
 本を一ページ、一ページじっくりと大きな声で読み上げて、何で美しい日本語だろう。
 この本の中で私は一番の気に入りは134から135ページまでの「訳者プロフィール」です。
 自分のところはともかく、メンバー皆のところは一番好きです。皆は繁忙な仕事や日常生活の合間に言葉の壁を乗り越えて、最初から最後まで文句なしに快く翻訳出版に付き合ってくださって、本当に心から感謝いたします。
 異国でこのような素敵な仲間たちに出会うことを誇りに思い、一生の財産にします。ありがとうございます。

『愛ママ弁当』を一冊早速ハルビンにいる両親に送りました。両親は私を立派な人間に育てるために30年間苦労し、限りなく愛情を注いでくれました。なのに、私は今まで一度も親孝行をしたことのない自分に恥ずかしいです。いつも娘思いの親ごころを慰めるように、『愛ママ弁当』を両親に捧げたいと思います。

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